有望なバイオマスエネルギー
熊崎 実
地球上の生きた植物体は光合成を通して絶えず太陽エネルギーの固定を行っています。地球に到達する太陽エネルギーのうち、陸上の植物に取り込まれるエネルギー量はごく知れたものですが、それでも毎年人間が消費する全一次エネルギー(一二〇億キロワット)の7倍以上になるでしょう。陸上植物の生体量(バイオマス)は約一・八兆トン、そのエネルギー貯留量は約七五〇〇億キロワット、この九〇%近くを森林が占めています。森林はまさにエネルギーの巨大な貯蔵庫なのです。 植物体に貯め込まれたエネルギーは、一連の化学的・物理的な変換を経ながら、植物、土壌、大気、その他の生き物のあいだを循環し、最終的には低温の熱となって放射されます。バイオマスのエネルギー利用というのは、こうした循環のプロセスに人間が介入して、そこに貯められている化学エネルギーを取り出し、有用な燃料に変えることです。この場合、人間の消費が自然の営みとしての再生産(循環)のレベルを超えなければ、生物燃料の燃焼は余分の熱も二酸化炭素も発生させません。有機体が自然に朽ちて分解するのも、人間がそれを燃やすのも、「酸化」であることに変わりはないのです。 かつてこの
バイオマスは人類が利用できるほとんど唯一の燃料源でした。産業革命以降これが石炭や石油に代替され、世界の一次エネルギーの供給に占める生物燃料の割合は一四%(工業国三%、途上国三五%)程度にまで低下しています。ところが、最近この伝統的な生物燃料が、再生可能でクリーンはエネルギー源として、ふたたび注目されるようになりました。
たとえば、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第二次レポートでは、温室効果ガスの排出を大幅に削減するための長期的なエネルギー対策が提案され、いく通りかのシナリオがつくられていますが、そのいずれにおいてもエネルギー供給におけるバイオマスのウェートはいちじるしく高くなり、二一〇〇年には原子力促進ケースで三八%、バイオマス促進ケースでは実に四六%に達するとしています。
もちろん、これは在来型の薪炭利用の復活を意味しているわけではありません。当面はバイオマスの直接燃焼やガス化による効率的な発電であり、ゆくゆくは次世代のエネルギーとされるメタノールや水素の生産が期待されれているのです。こうした技術の一部は実用化され、一部は研究開発の段階にあるのですが、化石燃料の大量消費で大気が汚染し、地球の温暖化が進むなかで、新しい生物燃料の時代が訪れようとしています。
すでにいくつかの諸国でバイオマス・エネルギーの利用拡大に向けて本格的な取り組みが始まりました。比較的早くから力を入れてきたスウェーデンでは、バイオマスが総一次エネルギー供給の15〜19%に達しています。またEU(ヨーロッパ連合)全体としても二〇一〇年までにこの割合を四%から八%に引き上げる計画をもっています。
ところが不思議なことにわが国では新エネルギーとしてのバイオマスがあまり注目されていません。総合エネルギー調査会の小委員会報告『強靱かつ、しなやかなエネルギービジョン』(一九九四年)を見ますと、バイオマスは「基本的な技術の確立により国際的には導入が進んでいるが、わが国においては主に自然条件による制約がある」と位置づけています。自然条件の制約とはどういうことでしょうか。平坦地に造成される大面積のエネルギー・プランテーションのようなものが想定されていたのかもしれません。前述のIPCCの長期シナリオでも、最終的には世界全体で四〜五億ヘクタールもの早生樹の植林が予定されています。日本にはそうしたプランテーションの適地はわずかしかありません。その意味ではバイオマス・エネルギーの供給可能量にも自ずと限度があります。
しかし、既存の森林資源を活用することで、平均的なヨーロッパ諸国並の数%のシェアを確保するのは十分に可能と思われます。この場合もエネルギー生産のためだけに森林を伐採するというのではありません。通常の林業生産や林産業から出てくる残廃材の利用が中心になります。たとえば直径二〇〜三〇センチのスギの木を伐倒して製材用の素材を採るとしますと、素材材積の二〇%くらいは枝や梢端部、曲がり材などとして捨てられています。こうした「林地残材」は、広葉樹で三五%、針葉樹でも比較的細い間伐材では四〇%にも達するでしょう。とくに最近では、伐倒した林木を枝のついたまま集材して、プロセッサーという機械で枝払いと玉切りする方式が採られているものですから、この機械のまわりには「林地残材」の大きな山ができてしまいます。スウェーデンなどではこれを発電用のチップにして運び出すのですが、日本ではそうした処分ができず、伐採業者の頭痛の種になっています。
山から伐り出された素材も製材品などに加工される段階で丸太材積の三分の一程度は背板や端材、おがくずなどの廃棄物になりますし、近ごろは製品の品質基準が高くなったために、加工されないまま廃棄される丸太もかなり出てきます。こうした廃材をうまく利用すれば、その加工場で必要なエネルギーの相当部分をまかなうことができるはずですが、零細な製材工場などはそれもできず、やむを得ずお金をかけて焼却処分しているのが実状です。このほかにも木造建築の解体による廃材や、庭木や街路樹の剪定屑があって、その始末が問題になってきました。エネルギーとして利用できる、あるいは利用するしかない木質バイオマスはいくらでもあるのです。きちんとした集荷システムができてくれば、原料のコストが低下するとともに、供給量も安定してくるでしょう。「自然条件の制約」などと勝手に決めつけるのは、あまりにも早計です。
さらに言えば、日本の森林で毎年伐採されているのは成長量の三〇%くらいです。世界一の木材輸入国でありながら、森林の利用率は異常に低い。森林一ヘクタール当たりの丸太生産量は全国平均で年一立方メートル、工業国のなかでは最低の部類に属しています。かつては現在のヨーロッパ諸国並に、この三倍くらいを伐っていたのですが、輸入材に押されて国内産の低質材、並材の価格が大幅に下がったために、すっかり伐採されなくなりました。そのために人工林が過密になり、森林は次第に活力を失っています。政府は間伐を推進しようと躍起になっているのですが、残念なことに間伐材の捌け口がありません。出口がないまま補助金を付けて間伐を強行すれば、安い材が市場に出回って、国産材の価格をますます引き下げてしまいます。どのようにして間伐材の捌け口をつくるかが大問題になってきました。
もともとわが国の林業は、外材に対抗するため優良材の生産を指向してきました。いわば大量の並材・低質材を犠牲にして、良い値で売れる高品質材に特化するやり方です。しかし木材消費の大きな流れとしては、無垢の木材をそのまま使うのではなく、並材・低質材を均質な材料に加工して使用する方向に動いています。森林から出てくる多様な木材をすべて無駄なく利用することを考えないと、林業経営が成り立ちません。木質バイオマスを無駄なく利用するには、良いものから順々に取っていくカスケード型の利用が一番です。まず最初に良質の建築用材を取り、次いでやや品質の劣るものを集成材にし、それ以下のものをボード類や製紙用のチップに向けます。それでもなお伐採現場や木材加工場での残廃材があるわけですから、これで電力や熱を生産し、木材加工に必要なエネルギーをまかなうのです。木材のこうしたカスケード利用ができるのは山元をおいてほかにありません。多品目少量生産はコスト面で不利になることが多いのですが、結合生産の利点を活かして、それぞれの製品にコストを分散させることもできるでしょう。
森林バイオマスのエネルギー利用を軸にして、山元で総合的な木材加工施設を動かすには、木材の安定供給が欠かせません。それには、地域内のすべての経済林を計画的に利用する仕組みが必要になってきます。土地所有者の森林管理能力が低下しているだけに、こうしたシステムをつくることが、森林の健康度が確保するうえからも、緊急の課題になっています。
森林資源のエネルギー利用は、日本の林業と森林の活性化のみならず、温室効果ガスの排出削減に寄与するのは言うまでもありません。木質バイオマスのトン当たりのエネルギー量を二〇ギガジュール、石炭のギガジュール当たりの炭素排出量を〇・〇二五トンとして、両者のエネルギー変換効率が等しいと仮定しますと、石炭の代わりに一トンのバイオマスを使うことで〇・五トンの炭素の排出が削減されます。木質バイオマスが集められそうなところであれば、石炭の火力発電所をバイオマスのそれに少しずつ切り替えることもできるでしょう。
また、バイオマス発電は、比較的信頼性が高く、しかも電気の供給量をある程度弾力的に調整することができます。したがって、電力供給が間断的な風力発電や太陽光発電、自然の水力を利用した発電などと組み合わせるのも一つのアイデアです。つまり、中山間地にさまざまな自然エネルギーを利用した小規模の発電施設を数多くつくり、相互に連結させて、安定した電力の流れを生み出すという発想です。この場合、バイオマス発電がコジェネレーション(電熱併給)になっていれば、電気をとって余った熱が、域内の家庭や公共施設のほか、林産加工、農産加工、温室農業などの地場産業に回ることになり、中山間地の経済振興に大いに役立つはずです。